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更新日:2017年05月23日

【国際学部】リレー?エッセイ(5)細野豊樹「『君の名は。』のイノベーション」

『君の名は。』のイノベーション

細野豊樹


 日本における映画の歴代興行収入ランキングの1位から10位のうち、その半分の5作品をアニメが占めていることをご存知でしたか(興行通信社)。断然1位が宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』(308億円)で、次いで3位にディズニーの『アナと雪の女王』(255億円)がランクインしているのですが、昨年度注目を集めたのは歴代4位の『君の名は。』の大ヒットでした。インディーズ系の新海誠監督によるこの作品が249億円を記録し、3位にあとわずかのところまで肉薄したのです。『もののけ姫』などの宮崎監督の他の作品や、『アナ雪』を除く他のディズニー?アニメに大きく差を付けました。


 『君の名は。』の凄さは、すそ野が広いキッズ?アンド?ファミリー向け市場でなく、青年層マーケット向けの作品でこれだけの興行成績を出してしまったことです。しかも、マンガの原作が無いオリジナル脚本のアニメです。映画の歴代興行収入ベスト100にランクインしているのは、ハリウッドの洋画、ディズニーとジブリのアニメが多く、青年層向け作品を含めた大部分の日本アニメはランク外です。


 アニメーション業界について、業界インサイダーが書いた『もっとわかるアニメビジネス』(NTT出版 2011年)という良書があるのですが、それによると青年層マーケットは一説では20万人程度のコア層から構成されていて、その人たちがブルーレイ、DVDなどを買ってくれることで成り立っている市場です。『君の名は。』を何回か観ているリピーターが少なくないにしても、コアな青年層マーケットだけでは、249億円の興行収入は難しかったはずです。新海監督はこの青年コア層の一部から支持されてきたカルト的とも評される監督であり、それまでの作品の上映は、限られたファン層が対象の27館が最大でした。それが『君の名は。』では、10倍を超える300館に増えています。これを可能にする、観る人の層を大きく広げる何かがあったといえます。


 その答えは、川村元気という東宝株式会社の若手プロデューサーとのコラボです。川村プロデューサーは、『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』などの作品を手掛けてきたヒットメーカーです。東宝の社員として映画をプロデュースしながら、小説や絵本の作家としても活躍する逸材です。川村氏による『世界から猫が消えたなら』という小説は累計発行部数が100万部を突破し、2013年の本屋大賞にノミネートされ、映画化もされています。


 新海監督はインタビューで脚本段階での川村プロデューサーの存在が大きかったと語っています。新海監督と東宝株式会社のチームは数か月かけて脚本を練っているのですが、「川村さんに常に導いてもらった。」と、映画のノベライズ本の「あとがき」で新海監督は書いています。川村プロデューサーは、新海監督の作風のある部分(川村氏が「フェッティシュ」と呼ぶ要素)は残しながら、失恋の悲劇に自己陶酔する中高年男性のような、支持層を狭くしてしまう部分を徹底的に排除したとの報道もあります。脚本会議で新海監督に「気持ち悪いです」とか「これは無神経ですよ」などと遠慮なく言ったとも伝えられています。


 このような東宝株式会社の敏腕プロデユーサー、知る人ぞ知る新進気鋭のアニメ映画監督、この映画のためのオリジナル曲を提供したロックバンドRADWIMPS、キャラクター?デザインの田中将賀氏、作画監督の安藤雅司氏などの、トップクラスのクリエーターたちの掛け算的協同が、空前の大ヒットを生んだのだといえます。このような『君の名は。』の異分野コラボの大成功は、映画業界にとどまらず、ビジネス全般のイノベーションに対する示唆に富んでいると思います。イノベーションについては、既存の要素の新結合?ニュー?コンビネーションが鍵だとされています。『君の名は。』にもそれが間違いなくあります。しかし、これだけでなく、新たな市場開拓を妨げる要素を排除する、引き算的な取組みも欠かせない、というのも『君の名は。』の教訓の一つだと考えます。


 「あなたの作品のこの部分を削ればヒットしますよ」というのは、作家性への挑戦です。大手配給会社のバックがある発言だとしても、自分の作品について「気持ち悪い」などといわれたら、普通は怒るでしょう。率直でシビアな議論を脚本会議等で行うには、日ごろのプライベートな付き合いで形成される個人的な信頼関係も大事というのが、もう一つの教訓です。川村プロデューサーは、『文芸春秋』の2017年4月号にて2月の約3週間の日記を披露しています。それを読むと脚本会議だとか女優のオーディションなどといった会社の仕事や、内外の授賞式などで忙しいなかで、銀座、築地、ロサンジェルスの名店などで様々なクリエーターたちとの会食を重ねていることが分かります。実際に映画のプロデュースに至る何年も前から、いつかコラボする日に向けて、付き合っているのです。日記の最終日では、新海監督と四谷(『君の名。』は舞台の一つ)で会食し、次の作品について語り合っています。


 最近の川村氏は小説家としても活躍しているので、オフの日は月に1回だけ、みたいな忙しさです。アニー賞の授賞式出席のためロサンジェルスに行った際は、32時間寝なかったとのこと。川村氏のような密度の高いコラボでは、体力?気力が充実した30歳台、40歳台が有利です。才能のある若手を抜擢するというのが、同じ東宝のヒット作『シンコジラ』にも通じる第三の教訓だといえます。グローバルなイノベーション競争では、日本の年功序列的な組織の見直しは避けられません。


 そして、川村氏の日記を読んで得られるさらなる教訓は、忙しいクリエーター達が東京圏に集中して住んでいることのメリットです。会社の会議、出版社との打ち合わせ、メディアへの出演、クリエーターなどとの会食に加えて、ゴッドハンドの整体師やマッサージ師による息抜きなども日記で紹介されています。クリエイティブな活動におけるフェース?ツー?フェースのコミュニケーションや都市アメニティーの重要性は、学術研究でも指摘されているところです。『文芸春秋』の6月号にて文芸学部の元教授の鹿島茂氏が、私学が神田界隈に集中している集積のメリットについて書いておられますが、そのこととも相通じるものがあります。


 『君の名は。』は日本の若者をターゲットにした「ど真ん中のエンターテインメント」(新海監督)を目指した作品ですが、中国やタイで邦画興行収入の歴代1位になるなど、アジアの若者にも強くアピールしました。中心舞台である岐阜県飛騨市に中国、香港および台湾から多数の「聖地巡礼」観光客が訪れているとの報道もあります。人口が約3800万人という世界最大のメガロポリスを拠点として才気あふれる若手がコラボして、互いの強みを掛け算し、万人受けしない要素を引き算する『君の名は。』のイノベーションは、世界を相手に稼げるであろう勝利の方程式なのです。アニメ業界だけでなく、少子化で海外展開を避けられない多くの日本の企業が、異文化マーケットで戦う際のヒントになるのではと思います。