Vol.7 高野八百子 8回生
1.今の自分について
私は共立女子第二高等学校を卒業後、慶應義塾大学厚生女子学院(看護専門学校)を卒業し看護師になりました。念願の小児病棟に勤務しました。二高時代に日本史の先生の授業が大変興味深く、正直言って授業がこんなにおもしろいと初めて思ったものです。看護師になりたいと思いながらも日本史ももっと勉強したいと迷いました。日本史を勉強しても、自分自身が職業として活かすことができない、本当に勉強したければいつでもできると考えて看護師になったわけです。仕事はやりがいのあるものでしたが、日本史の勉強も捨てきれず、5年目に退職して受験勉強をしなおし、立正大学文学部史学科に入学して古代史を勉強しました。漢文で書かれた史料を読んで考察したり、博物館での実習など忘れられない講義ばかりでした。しかし、自分にとって仕事はやはり看護師しかないわけですから、再び看護師に戻りました。
再就職も小児病棟でしたが、現在とちがい十分な感染対策が実施できているとは言いがたく、たとえば検査入院した子どもたちが風邪のウイルスに感染して入院が長期化するようなことが珍しくありませんでした。また、医療者自身も子どもたちから感染していました。子どもたちが本来の医療を受けられないことに疑問を感じ、自分ができることは何かと考えました。患者さんや医療者を守るためにどうしたら良いか考え、上司、医師、看護師たちに協力してもらいながら感染対策(手指衛生、使用するものの管理、マスクや手袋の着用など)を計画し実施すると改善につながることがわかりました。「いつもうまくいくとは限らない!」と後に実感しますが、感染対策は看護の基本として実施しなければならないことと考えるようになりました。
「感染症」は、目に見えない微生物によって引き起こされるものですので、患者さんの場所の移動や医療者の行動、感染数などの数値として可視化することが感染対策の第一歩になります。病院の中で感染対策を任せていただくようになり、同時に大学院で感染症看護についても勉強しました。毎日の研鑽を積んで2006年に感染症看護専門看護師になり現在に至ります。看護部や病院だけでなく所属施設全体に目を向けて対策を考えるような立場になりました。
医療は科学としての進歩が著しいだけでなく、社会の変化にも影響を受け、発展だけでなく複雑化しています。感染対策についても私が始めたころとは雲泥の差があります。改善がすすみ現在は問題がなくなるかというとそうではありません。免疫抑制(感染しやすくなる)状態になる治療が増えたり、家庭や施設など病院以外の場所で医療行為が実施されるようになって新たな問題が生じます。
また、現在の医療の現場では、チーム医療といってさまざまな職種が協働して取組むことが常識になっています。医師と患者、医師と看護師と患者という関係性だけではなりたたなくなってきました。看護師はチーム医療の中で調整役割も求められ、チームの成功がかかっていると言っても過言ではありません。
看護師のイメージは、人それぞれあると思いますが、人を支えることが看護師の役割です。私は感染症になった人、感染症を防ぎたい人を支え、少しでも多くの感染を防ぐことができるようこれからもつとめていきたと考えています。ただしもう少しワークライフバランスも考えたいという希望も持っています。
2.共立二中高の思い出
二高時代の思い出は楽しいことばかりです。長い登校下校の時間のさまざまなこと、バドミントン部で朝夕の部活動、嘘だと思っていた10キロマラソンを本当に走った合宿、文化祭では演劇部でもないのに「時をかける少女」を二年連続でクラスの出し物として上演したこと、クラス全員で取組んださまざまなイタズラ???????両親にも内緒で熱があるのに登校したことが2回くらいありました。(今、感染対策の視点で考えるとあってはならないことです。)修学旅行や卒業旅行でのあまり大きな声で言えない思い出?!担任だった先生の新居をクラスの代表者で訪問したことなど限りがありません。
先述した日本史の先生の授業は私にとって忘れられませんが、個性的な授業をされる先生が多く、興味深く授業を受けていたのだと思います。
振り返ってみますと、自由な校風のため、発想も豊かになり、具体的に実践するためにどうしなければいけないかということまで考えることができるように私の個性が成長したように思います。
人として女性として大切にするもの?守るべきこと、何かを成し遂げるための友達や仲間との協働などを学べるような学校だったのではないか、誰かが具体的に説明するのではなく、学生生活を送ることで、そのような人に成長できるような学校だったのではないかと思います。
今、学校生活を送られている方は、いろいろなことにチャレンジし、いろいろなことを考えてほしいと思います。
3.受験生へのメッセージ
私の時代は共立女子大学に看護学部がありませんでしたので、看護師になる=共立に行かないということでした。進学についてかなり悩み、両親にも反対されました。今は看護学科がありますので、皆様が将来をお考えになる際の選択肢がかなりひろがったと思います。
目標をもって一つ一つに取組むことが大切だと思います。目標が次につながるような目標のたてかたが大切です。たとえば、「共立女子大学看護学部に入学して看護師になる」というような目標ですね。具体的な職業を想定できない場合は、「○○というような人に成長して△△に取組めるようになる」。もちろん、「共立二高で有意義な高校生活を送って人として成長する」、「自身や家族が成長しながら幸せを実感できるような家庭を築く」でもいいですね。若いときに漠然とすごさずに、ぜひ前向きにと思います。「こんなふうになれた自分」を確認することは自分の特徴を確認できますし、一つ一つ自信にもつながります。
4.学校の良さを一言で表現すると…
おおらかな自由さの中に規律と厳しさを兼ね備えている学校だと思います
私は本当に共立二高で高校生活を送ることができて良かったと思います。
5.プロフィール
1983年3月 慶應義塾大学厚生女子学院卒業
1992年3月 立正大学文学部史学科卒業
2000年9月 北里大学大学院看護学専攻修了
2006年 感染症看護専門看護師資格認定